(8)平成13年5月30日 <鳥取港>

 昨夜の予報では今日は朝から小雨だったが、曇っているものの雲は高く、土地の気象台の今朝の予報では午後から小雨と報じているので、5時に出港。風は追い風で波は無くスピ−ドに乗って美保湾を真東に進んでゆく。大山は雲がかかって麓しか見えない。
 雲は段々低くなってくる。雨を気にしながらひたすら追い風を帆に受けて東へ東へと走り続ける。
 13時近く、何とか雨にもあわず、鳥取港口の赤灯台を回りこみ奥深く切れ込んだ港に入ってゆく。一番奥に林立したヨットのマストが見える。しかし繋留の場所がないので引き返していると、突き出た岸壁に居た4人の保安庁のような制服を着た中の一人が、「ここに繋留してもいいよ。」と言ってくれる。20メ−トルばかりの岸壁で、南側には警備艇「はや ぶさ」が繋留してあり、北側は空いていた。
 「二階に居るので、コ−ヒ−でも飲みに来ませんか」
と言って、4人連れは建物の中に入っていった。建物は「鳥取港海友館」の看板が掛かっていた。二階の事務室では10人ばかりの人が働いていて、先ほどの人は正面に座っていた。コ−ヒ−を飲みながら10分ばかり話をして外に出る。保安庁の外郭団体のようで、密魚船の取り締まりが任務だった。 外に出ると小雨が落ち始めている。空は雨雲に覆われて段々本降りになってくるが、予報では明日はあがるとの事。
 夕方、雨の中をすぐ近くのレストランに行く。空揚げでビ−ル二本、それにトンカツ定食。定番の玄米飯にインスタントの食事と違って豪華版だった。


(9)5・31<津居山港>

 2泊の予定だったが、朝、雨は降っていない。。エンジン・オイルを急いで交換して6時出港。港を出ると、すぐ右に鳥取砂丘が松林の中に白く見えていた。
 沖から見た山陰は、小高い山なみと、手付かずの自然のままの海岸線が、行っても行っても尽きることが無く続いている。海岸近くの海には刺し網は時々見かけるが、漁船の姿も海面を飛びかう鰹鳥の姿も全く見かけない。
 空は曇っているが、追っ手に乗ってぐんぐん進み、11時近くに津居山港に近づく。湾の入り口に接近した頃小雨が落ち始め、かつ突然突風が吹き始め艇は激しくヒ−ルする。必死に艇を立て直す。突風の吹き荒れる中、全身に闘志が満ち、ジブを巻き込みながら、やっと天候の急変を乗り切って、奥深く切れ込んだ静かな港内へ入ってゆく。
 港には大型漁船が隙間無く接岸していて、奥の倉庫の前の岸壁はがら空きで行ってみると、夕方帰ってくる大型底引き船の繋留・水揚げ岸壁で駄目との事。別の所に遊漁船の溜まり場があり、そこを引き波から防ぐ小さな防波堤があったので、仕方なくその内側に繋留した。この港を選んだ唯一の理由は、近くにある城の崎温泉に行くことだったが、艇は堤防に繋いだままなので上陸する事も出来ない。
 この港町は、漁業一色の町のようで、大型の船が夕方次々に帰ってきて接岸し、水揚げのため大勢の漁師や女達で賑わっていた。倉庫の裏手には大型の魚運搬トラックが待機していて、仕分けされた魚を積み込んで次々に出発してゆく。関西方面に運ばれるのだろうか。一方、別の岸壁で出港準備していた大型漁船が次々に港を出てゆく。このはるか沖合いには好漁場があるのだろう。
 この津居山港は山陰海岸の一番東の果てに位置し、丹後半島の一角にある。東へ東へと続く山陰の日本海を航行して来て、明日からは山陰の沖とも別れて、丹後半島を迂回して若狭湾にはいってゆく。あれこれ思いにふけっているうちに、ようやく静かになった港は夕闇に包まれていった。
 上陸できないままに、夕闇の中で一人焼酎を飲みインスタントの夕餉をとった

 ヨット航海には色々なやり方があると思うが、私は常にシングルハンドで自由気ままな旅をしている。二、三人の気の合った仲間と共に、人から人を頼ってゆく賑やかで楽しい旅もあるが、私は何時も一人で自然のまにまに身を託した自由気ままな旅をしている。そのため思いがけない苦労に合ったり、孤独にさいなまれる事もあるが、それもまた私には漂泊の旅の大きな魅力である。一人で気ままな旅をしていると、常に付きまとう予想外の辛さ、寂しさそして不安−−−しかし、目的の港にたどり着いた時の全身にみなぎる感動・達成感・充実感−− 一人旅の苦労に十分報いてくれるものがある。

北海道航海記−−−その2(境港−−滝港)

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北海道航海記−−−その1(津屋崎−−境港)




(1)平成13年5月23日 <蓋井島>

 昨夜から船に泊まり、夜が白むとともに津屋崎港を出る。今日は山口県の室津マリ−ナの予定だったが、
昼近くから向かい風が強まり波をか
ぶり始めたので、もよりの蓋井島に避難入港した。


(2)平成13年5月24日 <蓋井島>

 今日も風が強いので留まる。
 朝の漁(刺し網)から帰ってきて隣にもやった漁師が、カワハギを3匹くれたので、刺身にして朝から缶ビ−ルで乾杯。
夜、降るとも無く降る雨の音に混じって蛙が盛んに鳴く静かな島の夜だった。
山上の灯台の明かりが、真っ暗な艇内を一晩中一定の間隔でほの明るくしていた。



(3)平成13年5月25日 <仙崎港>

天気が安定したので出航する。
山口県の西海岸を北上して仙崎に向かう。荒天の名残で沖の波はまだ高かったが、山口県の西北端の川尻岬を
まわって東に進むと、海面は荒
い波がおさまり急に穏やかになる。
長門に接近してゆくが、舟からは仙崎港への進入路が何処の岬からなのか区別がつかない。
しかし、GPSの画面を見れば、進路を示しているのでそれにしたがって深川湾に進入し、青梅大橋の下を通って
仙崎港に入る。港は出入の漁船で賑わっていて繋留場所を探しながら港内をうろうろしていると、
貨物船の岸壁で働
いていた人が、留めるならここがいいよ。」と、岸壁の空いた端のほうを示してくれた。
 着岸は2時。9時間の航海であった。
 夜眠れぬままに町に出る。どこの漁港も夜の海岸通りは全く人影がなく、居酒屋は皆無と言っていいくらいだが、
さいわい魚市場の前に一軒開いていた。

 母港を出て2・3日は、家の生活を引きずっていて船の旅にはなかなかなじめないが、居酒屋で客達の話し声を
聞きながら飲んでいると、心も何時しかほぐれてきて、いよいよ航海の旅に出たんだ−−−の実感が
わいてくる。
 「無事の航海を祈っていますよ。帰りに又元気な姿を見せて頂戴。」
女主人に送られて、夜の人通りの全く途絶えた岸壁を帰った。

 いよいよ悲願の北海道への単独航海の第一歩が始まった。私の年齢からくる不安は色々ある。65歳でヨットを始め、
人々に助けられながら、暇に任せてこの10年で、あちこち単独航海しながら色々失敗や恐
ろしさ苦しさを経験してきた。
年齢からくる不用意なミス、それに健康
のことだけは常に不安として付きまとっているものの、
なんとか大きな事故も無くここまでやってきた。それにつけても、ヨット生活の最後に北海道へ行きたい思いは、
どうしても消える事は無かった。
山陰沖の延々と東に続く海岸、難所の能登半島の北上、私にとってまるで外国の
ような未知の北陸・東北の海岸や島々、
色々と不気味な津軽海峡、そし
て私をそそのかしてきた蝦夷の山々−−−等々で、それらへの思いはますます
大きくなるばかりで、ついに色々準備をして出発してきたのである。



(4)平成13年5月26日 <三隅>

 5時に三隅港へ向かう。漣一つ無い夜明けの仙崎湾内を、点在する小さな島々に注意しながら進み、萩の沖合いを通過し
東はるかな高山岬を
目指して帆走してゆく。快晴で波も無く順風を受けて快調に走る。
ふと
はるか後方にヨットが追ってくるのが目に入る。航海の途中、ヨットに出会うことは殆んど無く、もし出会った時は
砂漠で人に会った様にひどくなつかしい。しかし距離が離れていて良くわからないまま、そのうち
に見えなくなった。
 三隅港に2時に到着。「港湾案内」には港は公共岸壁建設中とあったが、ほとんど完成していて、
岸壁には一隻の繋留船もなかった。側にはまだ新しい火力発電所が建てられていてすでに稼動していた。
今日は8時間走って疲れたので、近くの部落でビ−ルを買ってきてインスタントで食事をして早々と寝てしまった。



(5)平成13年5月27日 <温泉津>

 昨夜の天気予報では、今日は北東の風、曇りで一時雨とあったが、起 ると、晴朗で波も無い。
快調に走り続ける海の上空には、一点の雲も無く太陽がさんさんと輝いていた。温泉津港の入り口は海図だけでは
到底わからない海岸線で、此処も
GPSに案内されて入ってゆく。
 漁協に許可を得て11時に着岸。一息入れていると若い警察官が来て形式的に2,3尋ねると、この港について
あれこれ説明してくれた。

 かっては、石見銀山の鉱石をこの港から積み出し、松前船も入港して大いに賑わっていたが、今は単なる漁業だけで、
ただ昔からの温泉があ
のでそれでわずかに命脈を保っているとの事であった。
 食事して温泉に行く。公衆浴場は2軒あったが、「元湯」の看板をくぐり200円払う。温度は45度とあり、
熱すぎて入れない。我慢しながらやっと入るが1分もすると、顔全体から汗がドッと噴出してくる。

湯船は小さく湯垢が長年の間にだいぶ堆積していた。しかし熱さにじっと耐えながら入っていると骨の髄まで
温泉の効能が染みとおる感じで、「温泉とはまさにこれだ」の思いがする。ふらふらになりながらも旅の疲れも
すべて吹き飛んで浴場を後にした。帰路、魚屋で刺身を買って一
杯といきたいのだが、どこの漁港にも
魚屋はほとんど見当たらず、ビ−ルだけを買って艇に帰った。



(6)平成13年5月28日 <十六島(ウップリ)港>

 何時ものように5時に出港、海は今日も穏やかだが、風は真正面から吹いてくるので殆んどエンジンで走る。大社港が
今日の目的港だったが、あまり早く接近したので十六島港に向かう。日御崎の灯台を右に見ながら大きく東に進路をとって
進んでゆく。出雲大社には帰路にでもお参りしょう。

 十六島港は、大きな入りこんだ湾の奥にある漁港だが、漁船が多く空いたところが無いので、少し奥の工事用の岸壁に繋留した。
まだ11時だった。さいわい漁船が通らないので引き波は無い。ここ山陰沖でも流藻が多く、港に着くとペラの藻を取るのが
日課になっていて、時にはビニ−ルや魚網のロ−プが食いいるように巻きついている。今日も潜ったが冷たさは感じなかった。
右足の膝が痛むので千年灸をすえた。



7) 平成13年529日 <境マリ−ナ> 

 南東の5メ−トルの風に吹かれ6ノット後半の快走で、大山・隠岐国立公園の東西に伸びる海岸線を、美保関の先端の地蔵岬に向かう。
北には霞を通して隠岐島がわずかに見えていた。波も無く穢れを知らない海を切り裂きながらの帆走は快調であった。
波が無いので身体も楽だ。地蔵岬の沖合いをおおまわりで180度回転して、境港へ向かう。
大きな漁船が境港の方から幾隻も競争するように走ってきて地蔵岬の沖合いを北西の魚場に急行して行く。

 境マリ−ナはなかなか見つけることが出来ずだいぶ時間を費やしたが、入港してゆくと、大きなクレ−ンを積んだ作業船が繋留されていた。
 「鳥取地震で此処もひどい被害を受けてしまってな、ヨットは他の場所に繋留してもらってます。」
と管理人は言いながらも、遠くから来たということで、岸壁に繋留させてくれた。ボンツ−ンは殆んど壊れていた。
一泊1291円。近くに空港があるようで、夕方から夜にかけて小型機が盛んに飛んでいたが、夜
間訓練のようだった。

 とりあえず第一の目標としてきた境港まで6泊7日で来たが、私の体調は心身ともに良好だ。一人で何かと不便はあるが疲れや
ストレスなど皆無で、かえって家にいる時よりも充実している。
第二の目標の佐渡までは今のところ大丈夫−−−と判断し、このまま先へ進むことにする。


更に その3へ続く
        斯うご期待

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